秋祭りに参加して昔の話を聞いてきた
公開日: 2016年10月12日水曜日 ご近所さん
平日ですが、集落二度目の収穫祭
午前中に集落二度目の秋祭りがありました。前回は当番地区だったこともあり、裏方として参加させていただきましたが、今度は参列者として参加。
何か違うことをするのかと顔を出してみたのですが、やっていることは同じで、神社を清めてお供えをして祝詞を挙げてもらって、直会。祝詞は違ったのかもしれませんが、神主さんは同じ人(島の中に、一人しかいないそうですが)。
やっぱり平日は厳しい
お祭りの参加者はお年寄りばかりで50名ほどでした。農業をされている若手(といっても40代)の方が参加されていましたが、やっぱり現役世代は忙しいみたいです。
こちらの地区では注連縄を綯ったり、神社を清めたりの前準備は週末の間に行ったとのことでした。今日はその後に落ちてきた落ち葉を掃き清めただけだとか。やっぱり、そうじゃないと回りませんよね。
うちのルーツのある長野県は諏訪地区の御柱祭なんかは、7年に一度の開催ですし、地元の人は「御柱のために働く」というほど地域に根付いていますが、この田舎のように、毎年、5箇所の神社で行われる祭り全てに仕事休んで参加するというのは非現実的です。
なぜ同じ集落なのに二度も?
前回のお祭り記事にも書いたとおり、小さな集落なのに5つも神社があります。
直会(なおらい)の席が元学校の先生だったという長老さんだったので、疑問を素直にぶつけてみました。
なんと、今は一つの集落に見えますが、元を辿るともっと山のほうにあった狩猟や林業を行う集落と、元々今の場所にある米作と漁業の集落の二つの集落があったそう。明治維新の頃には一つの集落になったそうですが江戸時代の地図だと二つに分かれているとか。長老が子 どもの頃はお寺も二つあったし、いまでも仏教の宗派は異なるそうです。
その他にも興味深い話が
二つの集落の話以外にも、長老さんからは興味深い話をいくつか聞かせていただきました。
・衣食住全て自給していたこと
・衣は、綿を栽培して自宅でつむいでいたこと
・食は、カライモ(サツマイモ)が中心だったこと
・風葬をおこなっていたこと
などなど。こういう伝承がしっかりと残っているのは興味深いです。だれか記録に残しているのかな?
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